お盆とお彼岸はよく似た日本独自の文化ですが。

梅津寺駅
また好き勝手な内容でブログを書くことにします。
よく似ているお盆とお彼岸の話を書いたはずなのですが、途中で脱線してよく分からない方向に進んでいきます。
とりあえず9月の旧暦名からスタート。

9月は文月か長月か

今までのブログでよく旧暦名の由来を探ったりしていますが、9月は面白くも何ともないので端折ります。
文月? 長月? と悩ましいところですが、9月は長月です。

「夜長月」が短縮されたというのが一般的です。旧9月といえば現在ではもう10月頃ですから夜も長くなっていたことでしょう。
葉月の推察したときに触れた『奥義抄』などにも書かれてます。

関係無いですが「夜長月」の字面って某漫画の主人公と似てますね。今書いていて思いました。

秋のお彼岸

最近ではシルバーウィークなどと呼びますが、9月には秋のお彼岸があります。
今年は9月19日が彼岸入り、25日が彼岸明けとなります。春分・秋分を中心にした7日間がお彼岸ですね。

古来仏教の世界では真西に浄土があると信じられており、太陽が真西に沈む日(= 春分の日と秋分の日)に悟りを開いて此岸(現世)から彼岸(極楽浄土)の境地に行くことが出来るとされていました。

その悟りに至るまでの修行を彼岸と呼んでいましたが、ご先祖様を供養しましょう なんて意味は本来全くありません
もともと先祖崇拝・先祖供養の風習があった日本独自の文化です。

こっち(現世)からあの世のご先祖様の近くまでいって供養しよう というのがお彼岸参りですので、ご先祖様が帰ってくるお盆とは方向が逆です。なおお盆のお墓参りも日本独自の文化だそうです。

私がいたいけな小学生だった頃に先生に教わった話によると、
(仏教が発生した)インドでは死者をガンジス川に流していたので、彼岸や此岸・三途の川など、川を中心にした言葉が多い とのこと。多分そうなんだろうと思ったので調べたことはないです。

お墓参りに行けないときは

知人の僧侶に伺ったところでは、「忙しくてお墓参りに行けないときは、お墓がある方向に向かって手を合わせるだけでも十分に供養になりますよ」ということです。

私も四国に帰る時間がなさそうなときはそれで済ましてます。大事なのは気持ちですよ、とは僧侶様の受け売り。
締めに使いそうな文章ですが、ここからマニアックな文章になるので先に締めておきます。

お彼岸に想う日本人の祖霊崇拝

ブッダが提唱した仏教と日本での仏教は似て非なるものです。
そもそもの仏教では四十九日が済めば輪廻転生して新しい体に魂が宿りますから、ご先祖様の霊魂が残っているわけがありません

そりゃあ彼岸参りもお盆のお墓参りもないでしょう。それ以前にインドにはお墓が無いそうですしね。

日本、中国、朝鮮半島では先祖崇拝、儒教という宗教思想が既にあった後に仏教が伝来してきたので、中国あたりでかなり変節した模様です。

ここから好き勝手に書きます。

自然崇拝が根本にある日本では全てのものに神様が宿っている反面、「神様を蔑ろにしたら祟られるんじゃないか」「罰があたる」とか畏れを抱いているように感じますが、祖霊崇拝もそれに似ているのではないかと思うのです。

うさんくさい占い師が「あなたが不幸なのはご先祖様のお墓を手入れもせず放ったらかしにしているからです」などと言ってたりしますが、それを信じてしまう人がある程度いるというのも、我々日本人の中に「ご先祖様をちゃんと供養しておけば守ってくれる(守護霊とか)、蔑ろにしていると祟られる」という意識がどこかにあるからなのではないでしょうか。

良い悪いで断じようというつもりはなく、日本の先祖供養にはそんな側面もあるのではないかな、程度の話です。

境界線への恐怖

料理の世界にも少なからず残っている陰陽思想ですが、お彼岸の日は昼(陽)と夜(陰)の長さが等しくなります。

陰と陽のバランスが等しくなってしまうのであの世とこの世がつながってしまう(=お彼岸)というわけです。

彼岸(あの世)と此岸(この世)がつながるとき、良いご先祖様だらけなら良いですがバイオがハザードしたような亡者が這い出てくる心配だってあったわけで、それだけ見てもただ単に「ご先祖様ありがとう」 なんて訳じゃなかったんじゃないかなと思います。

ちゃんとお参りするから祟らないでね ってどこかで思ってたんじゃないでしょうか。

違う世界がつながる「境界線」への恐怖心は、時間でいえば「丑の刻」や「逢魔が時」への恐怖ですし、モノで言えば「敷居は踏まない」「畳の縁は踏まない」なんかがそうですね。

「”自分たちがいる世界” ではない世界」 を畏怖する心が、自然崇拝や祖霊崇拝の根っこにあるんじゃないのかなと思います。

もう話があっちこっち行き過ぎて、まとまらなくなってしまったのでここまで。とりあえず畳の縁は踏まずにまたぎましょう。

それではまた。